浅野合宿所とは?

九州で活動していた頃に制作を手伝ってくれていた「K」の親戚が、小倉駅のすぐそば、小倉北区浅野で営んでいた明太子加工工場のこと。

天体工場の頃、その一角を大道具の倉庫兼宴会場として貸してもらったのが縁の始まり。1997年に我々がレイテストアポロを旗揚げして、「フォーカスライト」上演の準備に取りかかった頃、この工場は閉鎖され、住む人もいない「廃墟」になっていたのだった。そこで「K」にこの場所を貸してもらうように交渉してもらい、十数名が晴れてこの場所で寝起きと無駄話、無駄飯を共にすることとなったのである。「レイテストアポロ浅野司令部」の誕生だった。

我々が接収した段階で、すでに海側の建物は「ちょっと住むのは無理やね」という完全廃墟と化してしまっていたので、アポロが使用したのは道路に面した一部分にすぎない。だがそれでもスペースはふんだんにあった。ここは「工場」とはいっても作りは普通の民家風で、一階にはキッチン、風呂、トイレのライフラインが完備、そしてキッチンに隣接した「こたつ部屋」で我々は日々の食事を楽しんだ。こたつ部屋には公演間近T.K.が音響機材を持ち込み、ミニスタジオみたいな様相を呈していた。

二階にはまず皆がそれぞれ寝具や寝袋を持ち込んだ「布団部屋」(または談話室)、があり、ここは寝るのはもちろんだが、様々なレクリエーションの場でもあった。布団部屋の隣には司令と阿座上がパソコンを持ち込んでハイテク化した「司令室」があり、夜な夜な司令が台本を書いたり、阿座上が舞台図を作ったりしている姿が見られた。二階には他に、稽古やかしこまった宴会に使用された座敷「切腹部屋」(アメリカンがここで切腹をしたためこの名がついた)、松下好が占領していた「好ルーム」などがあった。

一階のガレージは舞台監督・阿座上の仕事場だった。彼は大量の木材に囲まれて、「フォーカスライト」の巨大なセットを黙々と作り上げていた。ガレージに設置されたCDラジカセからは、スマップの「SHAKE!」がエンドレスで流れていたっけ。

浅野司令部はフォーカスライト以後、「中盤のパラノイア」の時にも健在で、やはり我々のスミカとして大活躍した。東京の不動産事情ではちょっとありえない、文字通り夢の秘密基地が、ここ浅野司令部だったのでした。

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