浅野司令部〜「フォーカスライト」の頃

1997年。この時から母屋をまるまる使えるようになる。浅野日記によれば、住み始めたのは2/10(晴)だった模様。引っ越し早々、数人が「この家には霊がいる」と言いだし、押入を開けたら白骨化したねずみ(?)の死体が見つかりまたひと騒ぎ。ちなみに心霊がらみのネタは日記のあちこちに見受けられる。「この家はしょっちゅうラップ音がして面白い」と書いているのは貝谷。そして複数の人が「一番怖がっていたのは冨田礼介だ」と証言していることも特筆しておくべきだろう。

2/16の段階で「もう少し整頓しよう。ゴミとか」と栗原弓枝が書いてあるように、基本的に司令部内はとても散らかった状態だった。

気候の話をすると、室内はとても寒かった。「トイレで湯気のたったものは手を挙げよ」(T.K.が書いた2/18の日記)
でもそんな中、夜になると一部の者どもは屋根上に上がり、星明かりで宴会、などという風流なことをやっていた。二月の寒空の中で。

2/20、司令が台本執筆に使っていたワープロが突然壊れ、ただでさえ遅れていた台本がえらいことになってくる。この建物は工場だったくせに電源が弱く、2/22にトヨダヒロシがドライヤーを使ったら配電盤が吹っ飛び、この日栗原たちは真っ暗な中風呂に入る羽目になった。ワープロも電源が不安定なせいで壊れたのかも?

2/24、NOKOが合流、と日記に書いてある。

食事はみんなでカレーとか作るのが半分、それぞれ勝手にコンビニやらへ買いに出かけるのが半分、といった感じだった。しかも結構午前三時とかに買い出しが出ていた。大体四時くらいまで起きて何か仕事するか遊ぶかして、午前中眠り、午後から稽古する、というのが一日の基本的なサイクルだった。

2/25、NHKが取材に来た!切腹部屋で稽古してる所や、みなで「浅野カレー」を食べてる所などが撮影された。司令はカメラを前にしての駄目出しの際「俺、みんなの事好きやし」など心にもないコメントを連発。ハラダが爆笑していた。

3/9、日食があり、T.K.などは黒いゴミ袋(懐かしい。今はないよねそういえば)をフィルター代わりにして日食を観察していた模様。

3/11、地元のテレビ局、TVQが取材に来た。若い女の記者さん。ほんのりと意気投合。

3/18、この辺りから稽古はかなり追い込みに入り、夜の十一時近くまで行われている。 東京に一時戻っていたNOKOが再び合流。衣装作りも追い込みに入っている。

3/22に舞台はなんとか初日を迎え、公演終了。打ち上げは当然浅野司令部にて盛大に行われた。

その後、みんなは3/27くらいまでこの場所との名残を惜しみ、それぞれ社会復帰していった模様。

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