アポロ飛行士はどこから来たのか? 旗揚げの頃は、司令が以前主催していた「天体工場」のメンバー(貝谷、ライラ、長野、ハラダ、アメリカン、坂田など)、舞台芸術活性化事業のメンバー(松下、中村幸子、竹井)、冨田礼介の紹介でやってきた第一経済大学演劇部のメンバー(石田、木下ら)、九州芸術工科大学(司令・ライラ・T.K.らの母校)演劇部のメンバー(木福、堤)の四つに大別できる。 A4で東京に出てきた時はほぼ九州からのメンバーがそのまま舞台に立ったけど、A5スカイウォーカーの時、坂田の紹介で根津茂尚が、ライラの紹介で宮本拓也が、さらにNOKOの紹介で当時「国民デパリ」に在籍していた野坂実、渡辺裕也、日栄洋祐が参加。ちなみにA6「あいどる」から参加してくれた伯美乃里も「国民デパリ」にいた人。以後数年は彼らが軸になってくれた。 次の節目はA11「フラワーズ」辺りだろうか?このときから看板役者の貝谷聡が休養に入り、デパリから来た人々はアポロを離れた。以後は根津、木下、ライラ、新顔では芸工大演劇部OBの後藤聡、「PH」という演劇ユニットからやって来た矢神誠二、桜田一休、そして「the sky works」という演劇団体を主催している倉石公太郎、八巻新などが中心となる。 A13では矢神が「フロック51」というお笑いコンビを結成したため離脱、後藤聡、吉田和美はなんとお父さんになった。そして貝谷が帰って来た。 追伸、お父さんになって劇団を離れた吉田和美は、フィリピンに移住した。彼の海外生活は、こちらのブログでかいま見る事ができます。 |